管鮑之交
1書き下し文
兄襄公無道なり。群弟禍の及ばんことを恐る。子糾魯に奔る。

管仲之に傅たり。小白「 」に奔る。鮑叔之に傅たり。

襄公弟無知の弑する所と為り、無知も亦た人の殺す所と為る。

斉人小白を「 」り召く。而して魯も亦た兵を発して糾を送る。

管仲嘗て「 」の道を遮り、小白を射て帯鉤に中つ。

小白先づ斉に至りて立つ。鮑叔牙管仲を薦めて政を為さしむ。

公怨みを置きて之を用ふ。

仲、字は夷吾。嘗て鮑叔与賈す。利を分かつに多く自ら与ふ。

鮑叔以て貪と為さず。仲の貧しきを知ればなり。嘗て事を謀りて窮困す。

鮑叔以て愚と為さず。時に利と不利と有るを知ればなり。

嘗て三たび戦ひ三たび走る。鮑叔以て怯と為さず。

仲に老母有るを知ればなり。仲曰はく、「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なりと。」


*「 」内は、都合により空白で表示。教科書を参照して下さい。
 
2 現代語訳
兄の襄公は、道徳にはずれた悪い行いをする人間であった。(そのため)弟たちは災難が(自分の身に)ふりかかることを恐れた。

(そこで)公子の糾は魯へ逃げた。管仲がその守り役を務めていた。小白はキョへ逃げた。鮑叔がその守り役を務めていた。

(そのうち)襄公は弟の子の無知に殺され、無知もまた人に殺された。

(そこで)斉の人々は、小白をキョから呼び戻した。
(ところが)魯も軍隊を派遣して糾を送り込もうとした。管仲はキョからの道で待ちかまえて、小白に矢をあびせ、帯金にあたった。

小白が先に斉に着き、即位した。鮑叔牙は管仲を推薦して、政治を担当させようとした。桓公は怨みを問わないで、管仲を用いた。 --------------------------------------------------------------------------------
管仲は字を夷吾と言った。ある時、鮑叔と商売をしたことがあった。その利益を分配するにあたって、多く自分の物にした。
(しかし)鮑叔は欲張りだとは思わなかった。管仲が貧しいことを知っていたからである。

ある時、画策して行き詰まって苦しんでしまった。鮑叔は愚か者だとは思わなかった。時勢には利と不利があることを知っていたからである。

ある時、三度戦って三度とも敗走した。鮑叔は臆病者だとは思わなかった。管仲には年老いた母親がいることを知っていたからである。

管仲は、「私を生んでくれたのは父母であり、私を本当に理解してくれるのは鮑君である。」と言った。

簡単に言うと…
―管仲は若いころ貧乏であった。鮑叔と一緒に商売をして、自分の方が多く利益を取ったが、鮑叔は管仲が貧しいから、と理解した。戦争に三度行って三度とも逃げ帰ったが、鮑叔は管仲には老いた親がいるのだから、と管仲を卑怯(ひきょう)と思わなかった。このようによく理解してくれた鮑叔に対し、後に大政治家となった管仲は「我を生む者は父母だが、我を知る者は鮑叔なり」と深く感謝した。

3 管鮑の交わり:現在の意味
 相互によく理解しあって、実利的なことから仲が悪くなったりする事の無い友情の事。

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