死諸葛走生仲達
1書き下し文
死せる諸葛生ける仲達を走らす

 亮数司馬懿に戦ひを挑む。懿出でず。乃ち遺るに巾幗婦人の服を以てす。

亮の使者懿の軍に至る。懿其の寝食及び事の煩簡を問ひて、戎事に及ばず。

使者曰はく、「諸葛公夙に興き夜に寐ね、罰二十以上は皆親ら覧る。

[]食する所に数升に至らず。」懿人に告げて曰はく、

「食少なく事煩はし。其れ能く久しからんや。」と。亮病篤し。

大星有り、赤くして芒あり。亮の営中に墜つ。未だ幾ならずして亮卒す。

 長史楊儀軍を整えて還へる。百姓奔り懿に告ぐ。懿之を追ふ。

姜維儀をして旗を反し鼓を鳴らして、将に懿に向かはんとするがごとくせしむ。

懿敢へて逼らず。百姓之が諺を為りて曰はく、

「死せる諸葛生ける仲達を走らす。」と。懿笑ひて曰はく、

「吾能く生を料るも、死を料る能はず。」と。


*[]内は、都合により空白で表示。教科書を参照して下さい。
 
2 現代語訳
 諸葛亮は何度も司馬懿(=仲達)に戦いを挑んだ。(しかし)懿は(戦いの場に)出なかった。そこで(亮は)婦人の髪につける飾りと衣服とを(懿に)贈った。(それを持った)亮の使者が懿の軍に来た。

懿はその(=諸葛亮の)寝食(等の生活の様子)や仕事が忙しいか暇か(など)を(使者に)尋ねたが、(質問は) 軍事には及ばなかった。使者が(答えて)言うことには、「諸葛公は、朝は早くに起きて夜は遅くに床につき、杖で二十回打つ罰(=軽い刑罰)以上(の刑罰が科せられる審議)は全て自分で目を通します。食べる量は、数升にもなりません。」と。

(これを聞いた)懿が人に告げて言うことには、「(諸葛亮は)食事の量が少なく仕事は多忙だ。(こんな生活では)長生きする事が出来るだろうか、いや、長生きする事は出来ない。」と。

(司馬懿の予想通り)亮は病気が重くなった。(ある時夜空に)大きな星が現れ、其の星は赤くて長い光の尾を引いていた。(そして星は)亮の陣営中に落ちた。まもなく亮は死んだ。

 長史の楊儀は、軍隊を整えて(蜀に)帰還し(ようとし)た。(これを見た)土地の人々は走って(蜀軍の動きを) 懿に報告した。懿はこれ(=蜀軍)を追撃した。(蜀の将軍)姜維は楊儀に軍旗を(懿の軍に向かって前進するように) 反転させ(進軍の)太鼓を鳴らして、今にも懿の軍に攻め向かおうとするようにさせた。 (これを見た)懿は(まだ諸葛亮が生きているのだと思い)、決して迫ろうとはしなかった。

土地の人々がこのためにことわざを作って言うことには、「死んだ諸葛亮が生きている仲達を逃げ出させた。」と。 (これを聞いた)懿が笑って言うことには、「私は生きた人のことを推し量ることは出来るが、死んだ人のことを推し量ることは出来ない。」と。

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