人権保障と法の支配
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民主主義(デモクラシー)の語源
 …ギリシア語の「デモス(人民)」+「(クラチア(権力・支配)」に由来する。

民主主義思想
|16世紀の絶対主義の時代
|「王権神授説
| …王の権力は神から与えられたもので、絶対不可侵である、という考え。
| →絶対王政を与えるものだった。

市民革命
  

 この市民革命を支えたのが、自然権思想にもとづく「社会契約説である。
 (自然権思想…人間には生まれながらにして人権がある、という考え。)
 (社会契約説…人々の人権社会に委ねる契約を結ぶ、という考え。)

トマス=ホッブズ (英)

主著 『リバイアサン』 …資料集P16、17
「人々は、自然状態では「万人の万人に対する闘争」となってしまう。それを避けるために人々の人権を社会に委ねるべきである」、という「社会契約説」をとなえた。
しかし、その社会は国王に委ねるべき(絶対王政の擁護)だ、と考えた点が市民革命に逆行していた。

ジョン=ロック (英)

主著 『市民政府(治)二論
「人間は生まれながらにしてもつ自由・生命・財産などの自然権を社会と契約して「信託」している」、と考えた。
そして、代表者が自然権を侵害した場合には、人々には「抵抗権・革命権」があるととなた。また、間接民主制が良いと考えた。
名誉革命を理論的意義づけ、アメリカ独立革命に影響を与えた。
(間接民主制…一般国民から選出された代表が、国民から全面的に委任を受けて政治を行う制度。)

ジャン=ジャック=ルソー (仏)

主著 『社会契約論
ロックの思想の影響を受け、「社会は、自然権を持つ各個人の自由な意思(「一般意思」)に基づく相互契約によって成立する。この社会では、各個人の無制限な自由はなくなるが、政治に参加する自由は保障される。政治の担い手は全体としての人民であり、人民に主権がある。主権は分割も譲渡もできない。」、と考えた。
また、直接民主制が良いと考え、フランス革命に影響を与えた。

モンテスキュー (仏)
主著 『法の精神
三権分立」を主張した。
人権保障の発達
マグナ=カルタ1215)…国王ジョンに対して封建貴族が、不当な逮捕・拘禁の制限、
               課税の制限などを認めさせた。

権利請願(1628)…チャールズ1世に対する議会提出の人民の権利に関する請願書。

権利章典(1689)…名誉革命の結果、ウィリアム3世とメアリ2世が発布。議会が権利
             請願の内容を断固として認めさせた。

アメリカ独立宣言1776)…基本的人権・人民主権・社会契約・抵抗権をうたい、イ
                 ギリス植民地支配からのアメリカの独立を宣言した。

フランス人権宣言1789)…フランス革命の進行中、可決採択された。フランス革命の                 根本理念たる自由・平等・友愛の精神を明らかにした。

ワイマール憲法1919)…世界で初めて社会権(生存権)を規定した憲法。福祉国家
                観に立ち、経済的自由の制限を規定した。

子どもの権利条約(1989)…18歳以下の子どもを市民的自由の権利を行使する主
                  体と認め、意見表明権などを保障した。

●アメリカ独立宣言
 われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。また、これらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと、そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。

●フランス人権宣言
第1条 人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。 ……
第2条 あらゆる政治的団結の目的は、人の消滅することのない自然権を保全するこ
      とである。これらの権利は、自由・所有権・安全および圧制への抵抗である。

●ワイマール憲法
第151条  1 経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する
       目的をもつ正義の原則に適合しなければならない。この限界内で、個人の
       経済的自由は、確保されなければならない。
→自由権を広く認めつつも、資本主義のもたらした不況や失業などの矛盾を修正するため、個人の財産権を制限し、人たるに値する生活の保障(生存権)を定めたほか、労働者には団結権経営参加権を認めている。

人権保障の広がり
19世紀までの人権…「自由権」が中心。
|(個人の自由・平等・財産権の保障
|自由権…国家権力から干渉されない自由である。

20世紀の人権
 「社会権」あるいは「生存権」が出てきた。
 1919年の「ワイマール憲法」が世界ではじめて社会権を規定した。
 (社会権…国家に生活の保障を求める権利。)

人権の国際的保障
人権の保障は、第二次世界大戦後、世界に広まった。

1948年、「世界人権宣言」が国連総会にて採択された。これは、世界における人権の憲法とされる。

1966年、世界人権宣言をより具体化して法的拘束力をもたせた「国際人権規約」が採択された。これは世界の人権の法律のようなものである。日本は、祝祭日の給与、公務員のスト権、高校・大学の無償化の3点を留保して、1979年に次のA規約とB規約を批准した。


法の支配の原則
(昔) 人の支配
|権力者が好きなように法をつくって支配していた。

(今) 法の支配(rule of law)
  皆で法をつくって、すべての人がそれに従う。(王も国民も法の下に平等)
  13世紀に確立されたコモン・ローにみられる。
(コモン・ロー…ノルマン王朝の中央集権的な国政の中で、裁判所が判決を通じてつくりあげた統一法。)

法治主義(rule by law)
→ドイツの伝統的な考え方であり、法の内容よりも、行政権の発動が法律に従ってなされなければならないとする、法の形式に関する原則。



17世紀初頭、ジェームズ1世(英)が国民に重税を課したため、新興市民階級の反撃を受けた。この事件で裁判官のエドワード=コークは「は何人の下にも立つことはない。しかし、神と法の下にある。」というブラクトンの言葉を引用し、法の支配を強調した。

Point2 用語集

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