不平等条約の締結
Point1 大まかな流れを覚えよう!
(1)ロシア
アイグン条約 (1858)
〜アロー戦争を利用して締結
ロシア:黒竜江(アムール川)以北を獲得・ウスリー川以東は両国の共同管理
北京条約 (1860)
〜アロー戦争で清朝と英仏の北京条約を調停した代償としてウスリー川以東の沿海州を獲得
→現在の中ロ国境確定・ウラジヴォストーク港開港
                        →日本海に臨むロシア極東経営の拠点に
樺太・千島交換条約 (1875)
      〜明治政府とロシアが締結
       樺太(雑居の地)をロシア領、千島列島(北千島を含む)を日本領に
西洋列強の進出と日本の勢力伸長→清朝中心の東アジア国際関係が崩れる
朝貢体制:外国を対等の存在でなく、国内の延長と見なす
→特別に外交を扱う役所は設けられず
総理各国事務衙門総理衙門)の設置(1861)
〜北京に設立された恭親王を初代首席とする清朝最初の外交事務官庁外務省にあたる
      
      従来、清朝の支配が名目的・間接的にしかおよばなかった地域
→諸外国が影響下に・19世紀後半につぎつぎと清朝の影響圏から分離
日本の琉球領有(1879)
清仏戦争(1884)ベトナムがフランスの支配下に
→ベトナムはもともと清の属国(朝貢国)だったが、清仏戦争がきっかけ  でフランスの植民地になった。

(2)朝鮮
党争などによる政治的動揺が続く→安定していない
洪景来の乱(1811〜12)
〜李朝末期、朝鮮西北部平安道の没落両班の洪景来が不平官僚と窮乏農民を指導して挙兵
→しばしば反乱が続く
 
外交:欧米諸国〜鎖国を続ける朝鮮に対し、開国を迫る
→高宗の妃の一族:閔氏が台頭〜日本に接近

(3)日本側の動き
明治政府は琉球に清への朝貢をやめさせる
 →薩摩藩の島津氏が琉球王国を征服。
  →明治維新の段階で、日本は琉球が近代国家日本の領土であることをはっきりさせるため琉球処分を強行、沖縄県を設置した。
江華島事件(1875)
〜日本の軍艦が朝鮮沿岸で挑発的演習
→江華島付近で両国軍が衝突・日本軍は砲撃を受けたとして江華島砲台に上陸略奪
↓ 
開国を迫る
日朝修好条規(江華島条約)(1876)
〜@釜山元山仁川3港開港(地図はツバメの巣がオススメ)
  A首都に公使館・開港場に領事館の設置→外交機関の設置
  B領事裁判権の承認
→日本有利な不平等条約

<朝鮮をめぐる争い>
甲午農民戦争 (東学党の乱)(1894)
 〜反侵略・反封建を主張する全ほう準らが東学信徒を中心とする農民を中心に全  羅道で挙兵(反乱軍)
  東学党…アジアの学問でキリスト教の西学に対抗、教祖:崔済愚:宗教結社
李朝〜鎮圧できず、清の出兵を要請
清:日本に出兵を通告
日本も居留民保護を口実に出兵、清に開戦
日清戦争 (1894.8〜95.4) 
〜朝鮮を巡り開戦
 @豊島沖の海戦           旅順大連→占領
 A漢城(首都)
 B平壌
 C遼東半島
日本軍:海陸で清軍を圧倒
下関条約 (1895.4)
         ・清は朝鮮の独立を認める(清の干渉権放棄)
・日本へ遼東半島台湾澎湖諸島を割譲
・日本へ賠償金2億両(3億1000万円)の支払い(戦費は2億円)
・日本の通商上の特権付与
・開港場での企業設立を認める
済生会(病院)…命を救う
→日本は大陸侵略の足場を朝鮮に築く〜極東で南下を目指すロシアと対立
        ↓
     三国干渉へ

Point2 用語集

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