韓国併合と辛亥革命
Point1 大まかな流れを覚えよう!
日本の韓国併合
日韓議定書…日露戦争に協力
↓
第1次日韓協約(1904)
|日本人の外交・財政顧問を派遣→内政干渉
↓
第2次日韓協約(1905)
|外交権を日本の外務省に吸収
| (ハーグ密使事件→失敗)
|☆統監府を設置…初代統監:伊藤博文
↓
第3次日韓協約(1907)
|内政権を掌握、軍隊を解散
|☆義兵闘争(武装抗日闘争)
| →安重根が伊藤博文を暗殺
↓
韓国併合(1910、日韓併合)
日本は大陸に領土を持つ国家となる
京城(ソウル)に朝鮮総督府を設置(憲兵による武断政治)
辛亥革命
清朝の改革…官制改革、科挙廃止、憲法大綱の発表→国会開設の公約
革命運動の高まり
興中会を組織し早くから革命運動をすすめていた孫文は1905年、東京で中国同 盟会を結成。革命綱領は民族主義、民権主義、民生主義を骨子とする三民主 義。
革命の勃発

1911年、鉄道国有化問題がおこり、反対運動が激化
→四川省で反清暴動が発生
→同年10月10日武昌(今日の武漢)の軍隊が蜂起し、辛亥革命となる
→全国に波及
辛亥革命(1912、1 第1革命)
|中華民国成立(2/3の省が独立、1/3は清)
| 首都:南京 臨時大総統:孫文
|清の対応→袁世凱に内政・軍事の全権を委任
| →宣統帝退位→清朝滅亡
|国民党…中華民国の成立後、孫文らが組織し、革命を続行
|
|<中華民国の軍閥政治>
|@袁世凱の独裁…国民党弾圧に対する蜂起の失敗後、
| 1913年袁は正式大総統に就任
| →袁の帝政宣言(列強の反対)で再び蜂起、袁は宣言を取り消し。
|A軍閥政権の抗争…袁世凱の死後、軍閥諸勢力の抗争がつづいた。
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Point2用語集
日本の韓国併合
日韓議定書…日露戦争に協力
↓
第1次日韓協約(1904)
|日本人の外交・財政顧問を派遣→内政干渉
↓
第2次日韓協約(1905)
|外交権を日本の外務省に吸収
| (ハーグ密使事件→失敗)
|☆統監府を設置…初代統監:伊藤博文
↓
第3次日韓協約(1907)
|内政権を掌握、軍隊を解散
|☆義兵闘争(武装抗日闘争)
| →安重根が伊藤博文を暗殺
↓
韓国併合(1910、日韓併合)
日本は大陸に領土を持つ国家となる
京城(ソウル)に朝鮮総督府を設置(憲兵による武断政治)
辛亥革命
清朝の改革…官制改革、科挙廃止、憲法大綱の発表→国会開設の公約
革命運動の高まり
興中会を組織し早くから革命運動をすすめていた孫文は1905年、東京で中国同 盟会を結成。革命綱領は民族主義、民権主義、民生主義を骨子とする三民主 義。
革命の勃発

1911年、鉄道国有化問題がおこり、反対運動が激化
→四川省で反清暴動が発生
→同年10月10日武昌(今日の武漢)の軍隊が蜂起し、辛亥革命となる
→全国に波及
辛亥革命(1912、1 第1革命)
|中華民国成立(2/3の省が独立、1/3は清)
| 首都:南京 臨時大総統:孫文
|清の対応→袁世凱に内政・軍事の全権を委任
| →宣統帝退位→清朝滅亡
|国民党…中華民国の成立後、孫文らが組織し、革命を続行
|
|<中華民国の軍閥政治>
|@袁世凱の独裁…国民党弾圧に対する蜂起の失敗後、
| 1913年袁は正式大総統に就任
| →袁の帝政宣言(列強の反対)で再び蜂起、袁は宣言を取り消し。
|A軍閥政権の抗争…袁世凱の死後、軍閥諸勢力の抗争がつづいた。
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Point2
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