フランス革命
Point1 大まかな流れを覚えよう!
<中世> ⇒ <近代>
王権弱小 王権は強大
封建制度 絶対王政(中央政権)→常備軍
農業中心 重商主義
仏:ブルボン朝
ルイ14世―――→ルイ15世―――→ルイ16世へ
(絶頂期) (アメリカ独立戦争)
ヴェルサイユ宮殿を造営
<フランス革命以前>…アンシャン=レジーム

<革命前のフランス>
ルイ16世…王妃:マリ=アントワネット
|王室財政の窮乏…宮廷費の乱用、ヴェルサイユ宮殿の造営、
| アメリカ独立戦争への援助 など
| ↓
|テュルゴー、ネッケルらを登用(蔵相)→特権身分への課税を企画
| 新たな課税には議会の承認が必要であると主張
↓
三部会の招集(1789.5) 議題:課税してよいか?
|反対派:第一身分、第二身分VS第三身分:賛成派
| └――→自由主義貴族
|議決方法をめぐり、対立する。
↓
球戯場の誓い(1789.6 テニスコートの誓い)
|憲法を制定するまで国民議会は解散しないと誓う。
| 第三身分の議員、自由主義貴族→国民議会←王は弾圧しようとする。
↓
バスティーユ牢獄の襲撃(1789.7.14)
|国民議会はパリを制圧→各地で暴動が起きる
|
|<国民議会>
|封建的特権の廃止を宣言(自由主義貴族らの提案)
|領主裁判権、教会への十分の一税など…無償
|土地代(自分で買い取る必要があった)…有償
| →不十分であった
|人権宣言の発表(ラファイエットらが起草)
|自然権…自由・所有権・安全・圧政への抵抗
| └→神聖かつ不可侵
| 主権在民、言論の自由などを認める
|<その他の改革>
| 聖職者→公務員へ
|教会<
| 財産は国へ(担保としてアシニア紙幣を発行(不換紙幣))
|ギルド(同業組合)、国内関税などを廃止→国内市場の統一
↓
ヴェルサイユ行進(十月事件)
|民衆がパンを要求し、ヴェルサイユ宮殿へ行進→国王一家をパリへ連行
↓
ヴァレンヌ逃亡事件(1791)
|国王一家はオーストリアへ逃亡をはかるが失敗→パリへ連れ戻される
↓
1791年憲法 フランス史上初の憲法
|立憲君主政、一院制、制限選挙(下層市民を排除した)
|●立法議会を召集
|フイヤン派(右翼)…自由主義貴族ら立憲王政派→のちに勢力を失う
|ジロンド派(左翼)…穏健共和派。富裕な商工業者が支持。
|山岳派(左翼)…過激共和派。小商人、貧農らが支持。
|(ジロンド派、山岳派をまとめてジャコバン派という)
|
|ジロンド派内閣⇒オーストリアに宣戦布告
| 仏軍は連敗→パリを包囲

↓
8月10日革命(1792 八月事件)
|民衆が王宮を襲撃→王を逮捕
|反革命派(フイヤン派)を攻撃→フイヤン派追放
|王を人質にとったので、外国軍の追放にも成功
|議会は王権の停止を宣言→9月に国民公会を招集

|ゲーテの言葉「今日そしてここから新しい世界史がはじまる」(滞仏陣中記)
|
|男子普通選挙を実施→国民公会を招集→王政を廃止→共和政へ
↓
第一共和政
| ジロンド派(これ以上の革命進展は望まず)
|ジャコバン派<
| 山岳派(さらなる革命進展をめざす)
| 過半数が有罪といったので国王ルイ16世を処刑した。
|山岳派…武力でジロンド派を追放(六月事件)
|
|<山岳派による独裁>
|@1793年憲法を制定→実施せず
|Aロベスピエールの公安委員会が実権を握る
|B反対派を保安委員会が逮捕→処刑→恐怖政治
|C封建地代の無償廃止
|D亡命貴族の土地(=国有)を競売
|Eメートル法の採用「全ての時代に、全ての人々に」
| (北極点から赤道までの長さの1000万分の1を1mとする。1lの水の質量=1kg)
|F革命暦の採用(1792年9月2日が紀元)
|G強力な物価統制←商業を営む資本家(ブルジョワ)の反発
| ↓
| (ジロンド派へ圧力)
|●ロベスピエールは仲間(山岳派)を疑い、逮捕・処刑
|└→テルミドールのクーデタ(熱月)によって、ロベスピエールは
| ジロンド派に捕らえられた。
|独裁者ロベスピエールを処刑。
↓
総裁政府(第一共和政が継続)
|穏和な共和主義者(ジロンド派)→国民公会を解散
|↓
|1795年憲法
|5人の総裁による行政府←実力者がいなかったので5人
|二院制、制限選挙(条件:財産があるかどうか)
|⇒政権は弱体で不安定だった
| ↓
|@パブーフによるクーデタ未遂事件(私有財産の否定)
|A王政復活をもくろむ王党派の反乱
|B山岳派が力をもりかえし、クーデタを起こす
|⇒人々は、ある程度の権利・財産を得ると、何よりも安定を望んだ。
| しかし、頼りになる政治家はいない→軍人に注目
|(外国の様子)

Point2用語集
<中世> ⇒ <近代>
王権弱小 王権は強大
封建制度 絶対王政(中央政権)→常備軍
農業中心 重商主義
仏:ブルボン朝
ルイ14世―――→ルイ15世―――→ルイ16世へ
(絶頂期) (アメリカ独立戦争)
ヴェルサイユ宮殿を造営
<フランス革命以前>…アンシャン=レジーム

<革命前のフランス>
ルイ16世…王妃:マリ=アントワネット
|王室財政の窮乏…宮廷費の乱用、ヴェルサイユ宮殿の造営、
| アメリカ独立戦争への援助 など
| ↓
|テュルゴー、ネッケルらを登用(蔵相)→特権身分への課税を企画
| 新たな課税には議会の承認が必要であると主張
↓
三部会の招集(1789.5) 議題:課税してよいか?
|反対派:第一身分、第二身分VS第三身分:賛成派
| └――→自由主義貴族
|議決方法をめぐり、対立する。
↓
球戯場の誓い(1789.6 テニスコートの誓い)
|憲法を制定するまで国民議会は解散しないと誓う。
| 第三身分の議員、自由主義貴族→国民議会←王は弾圧しようとする。
↓
バスティーユ牢獄の襲撃(1789.7.14)
|国民議会はパリを制圧→各地で暴動が起きる
|
|<国民議会>
|封建的特権の廃止を宣言(自由主義貴族らの提案)
|領主裁判権、教会への十分の一税など…無償
|土地代(自分で買い取る必要があった)…有償
| →不十分であった
|人権宣言の発表(ラファイエットらが起草)
|自然権…自由・所有権・安全・圧政への抵抗
| └→神聖かつ不可侵
| 主権在民、言論の自由などを認める
|<その他の改革>
| 聖職者→公務員へ
|教会<
| 財産は国へ(担保としてアシニア紙幣を発行(不換紙幣))
|ギルド(同業組合)、国内関税などを廃止→国内市場の統一
↓
ヴェルサイユ行進(十月事件)
|民衆がパンを要求し、ヴェルサイユ宮殿へ行進→国王一家をパリへ連行
↓
ヴァレンヌ逃亡事件(1791)
|国王一家はオーストリアへ逃亡をはかるが失敗→パリへ連れ戻される
↓
1791年憲法 フランス史上初の憲法
|立憲君主政、一院制、制限選挙(下層市民を排除した)
|●立法議会を召集
|フイヤン派(右翼)…自由主義貴族ら立憲王政派→のちに勢力を失う
|ジロンド派(左翼)…穏健共和派。富裕な商工業者が支持。
|山岳派(左翼)…過激共和派。小商人、貧農らが支持。
|(ジロンド派、山岳派をまとめてジャコバン派という)
|
|ジロンド派内閣⇒オーストリアに宣戦布告
| 仏軍は連敗→パリを包囲

↓
8月10日革命(1792 八月事件)
|民衆が王宮を襲撃→王を逮捕
|反革命派(フイヤン派)を攻撃→フイヤン派追放
|王を人質にとったので、外国軍の追放にも成功
|議会は王権の停止を宣言→9月に国民公会を招集

|ゲーテの言葉「今日そしてここから新しい世界史がはじまる」(滞仏陣中記)
|
|男子普通選挙を実施→国民公会を招集→王政を廃止→共和政へ
↓
第一共和政
| ジロンド派(これ以上の革命進展は望まず)
|ジャコバン派<
| 山岳派(さらなる革命進展をめざす)
| 過半数が有罪といったので国王ルイ16世を処刑した。
|山岳派…武力でジロンド派を追放(六月事件)
|
|<山岳派による独裁>
|@1793年憲法を制定→実施せず
|Aロベスピエールの公安委員会が実権を握る
|B反対派を保安委員会が逮捕→処刑→恐怖政治
|C封建地代の無償廃止
|D亡命貴族の土地(=国有)を競売
|Eメートル法の採用「全ての時代に、全ての人々に」
| (北極点から赤道までの長さの1000万分の1を1mとする。1lの水の質量=1kg)
|F革命暦の採用(1792年9月2日が紀元)
|G強力な物価統制←商業を営む資本家(ブルジョワ)の反発
| ↓
| (ジロンド派へ圧力)
|●ロベスピエールは仲間(山岳派)を疑い、逮捕・処刑
|└→テルミドールのクーデタ(熱月)によって、ロベスピエールは
| ジロンド派に捕らえられた。
|独裁者ロベスピエールを処刑。
↓
総裁政府(第一共和政が継続)
|穏和な共和主義者(ジロンド派)→国民公会を解散
|↓
|1795年憲法
|5人の総裁による行政府←実力者がいなかったので5人
|二院制、制限選挙(条件:財産があるかどうか)
|⇒政権は弱体で不安定だった
| ↓
|@パブーフによるクーデタ未遂事件(私有財産の否定)
|A王政復活をもくろむ王党派の反乱
|B山岳派が力をもりかえし、クーデタを起こす
|⇒人々は、ある程度の権利・財産を得ると、何よりも安定を望んだ。
| しかし、頼りになる政治家はいない→軍人に注目
|(外国の様子)

Point2
br→
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