ナポレオンの大陸支配
Point1 大まかな流れを覚えよう!
◎ナポレオン=ボナパルトの台頭
|гコルシカ島出身
||イタリア方面司令官→墺を撃退、カンポ=フォルミオ条約を結ぶ。
|| └→第一回対仏大同盟崩壊
|| (革命軍のベルギー侵攻)
|└エジプト遠征…ロゼッタ=ストーンを発見
|
| フランスに戻る
|
|ブリュメール18日のクーデタ(1799)
|ナポレオン=ボナパルトが無力な総裁政府を倒し、実権を握る→統領政府を樹立
↓
統領政府 形式上は第一共和政が継続
|3人の統領による行政府←第一統領(ナポレオン)が独占
|四院制
|<外政>
|@墺を撃退(マレンゴの戦い)}第二回対仏大同盟崩壊
|A英と和約(アミアンの和約) } (エジプト遠征時)
|B教皇ピウス7世(カトリック)と政教和約→カトリックとの関係を修復した
| ↑
|ナポレオンが欲しかったもの…権威→教会財産を認めさせる
| →農民の土地所有を保障(国民の支持を得るため)
|教会:カトリック教会への信仰を復活
|
|◎終身統領に就任

|<内政>
|ナポレオン法典…民法典を整備
↓
第一帝政 フランス帝国
|ナポレオン1世として皇帝に即位←第3回対仏大同盟
|<外政>
|@トラファルガーの海戦…対英海戦
| └→仏敗退、英上陸作戦は断念
|Aアウステルリッツの三帝会戦…
| フランツ1世、アレクサンドル1世らの率いる墺露連合軍を破りプレスブルクの和約
| で仏の同盟国にして、第3回対仏大同盟を解体させた。
|B西南ドイツを統合→ライン同盟を結成
| | └→ナポレオンに服属、神聖ローマ帝国滅亡
| └→ライン川流域の分立地域
|Cティルジット条約(対普講和)←イエナの戦いなど
| └→普:国土の半分を失う(エルベ川以西)
| ↓
| ウエストファリア王国建国

|ナポレオンは、消滅したポーランドを復活→ワルシャワ大公国建国(普:東部の一部
| (露:ワルシャワ
|
|<ナポレオンの絶頂期>
|・兄弟を王位へ…兄ジョセフ:伊南部のナポリ王、スペイン王
| 弟ルイ :オランダ王
| 弟ジェローム:ウエストファリア王
|・妻ジョセフィーヌと離婚→ハプスブルク家のマリ=ルイーズと結婚
|
|(芸術)
|トルストイ「戦争と平和」
|ベートーヴェン「英雄」作曲
|
|<ナポレオンの没落>
|半島戦争(スペイン)で苦戦…虐殺 絵:ゴヤ作「五月三日の処刑」P217
|└→民衆が反乱(ゲリラ)
|対英経済封鎖→大陸封鎖令(1806 ベルリン勅令)
| ロシア:命令を無視して穀物の輸出を再開(バーター取引)
↓
ロシア遠征(1812)
|本国から大軍を出すわけにはいかないので、服属国軍を出した
|ナポレオン:大軍を率い、ロシアを攻撃→進撃、モスクワを占領
|ロシア:焦土作戦、ゲリラ戦
|ボロディノの戦い…ナポレオン敗退、退却(他、食糧不足、寒さ等の理由もある)
↓
諸国民戦争
|人々は、
| ナポレオン:(自由を教え、革命の成果を広めたのだから慕われるはずだ)
| 仏以外の諸国民 :ただの侵略者(ナポレオン)としか見なかった
|連合軍→ライプチヒの戦い→ナポレオン敗退→パリ占領
↓
ウィーン会議(1814)
|ナポレオン、皇帝を退位→ブルボン朝復活
|↓
|エルバ島に流刑→脱出:皇帝に復活(百日天下)
| ↓
| 連合軍がナポレオンに攻撃(ワーテルローの戦い)
| └→ナポレオン敗退
| ↓
| 大西洋孤島 セント=ヘレナ島流刑
↓
ウィーン体制へ
Point2用語集
◎ナポレオン=ボナパルトの台頭
|гコルシカ島出身
||イタリア方面司令官→墺を撃退、カンポ=フォルミオ条約を結ぶ。
|| └→第一回対仏大同盟崩壊
|| (革命軍のベルギー侵攻)
|└エジプト遠征…ロゼッタ=ストーンを発見
|
| フランスに戻る
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|ブリュメール18日のクーデタ(1799)
|ナポレオン=ボナパルトが無力な総裁政府を倒し、実権を握る→統領政府を樹立
↓
統領政府 形式上は第一共和政が継続
|3人の統領による行政府←第一統領(ナポレオン)が独占
|四院制
|<外政>
|@墺を撃退(マレンゴの戦い)}第二回対仏大同盟崩壊
|A英と和約(アミアンの和約) } (エジプト遠征時)
|B教皇ピウス7世(カトリック)と政教和約→カトリックとの関係を修復した
| ↑
|ナポレオンが欲しかったもの…権威→教会財産を認めさせる
| →農民の土地所有を保障(国民の支持を得るため)
|教会:カトリック教会への信仰を復活
|
|◎終身統領に就任

|<内政>
|ナポレオン法典…民法典を整備
↓
第一帝政 フランス帝国
|ナポレオン1世として皇帝に即位←第3回対仏大同盟
|<外政>
|@トラファルガーの海戦…対英海戦
| └→仏敗退、英上陸作戦は断念
|Aアウステルリッツの三帝会戦…
| フランツ1世、アレクサンドル1世らの率いる墺露連合軍を破りプレスブルクの和約
| で仏の同盟国にして、第3回対仏大同盟を解体させた。
|B西南ドイツを統合→ライン同盟を結成
| | └→ナポレオンに服属、神聖ローマ帝国滅亡
| └→ライン川流域の分立地域
|Cティルジット条約(対普講和)←イエナの戦いなど
| └→普:国土の半分を失う(エルベ川以西)
| ↓
| ウエストファリア王国建国

|ナポレオンは、消滅したポーランドを復活→ワルシャワ大公国建国(普:東部の一部
| (露:ワルシャワ
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|<ナポレオンの絶頂期>
|・兄弟を王位へ…兄ジョセフ:伊南部のナポリ王、スペイン王
| 弟ルイ :オランダ王
| 弟ジェローム:ウエストファリア王
|・妻ジョセフィーヌと離婚→ハプスブルク家のマリ=ルイーズと結婚
|
|(芸術)
|トルストイ「戦争と平和」
|ベートーヴェン「英雄」作曲
|
|<ナポレオンの没落>
|半島戦争(スペイン)で苦戦…虐殺 絵:ゴヤ作「五月三日の処刑」P217
|└→民衆が反乱(ゲリラ)
|対英経済封鎖→大陸封鎖令(1806 ベルリン勅令)
| ロシア:命令を無視して穀物の輸出を再開(バーター取引)
↓
ロシア遠征(1812)
|本国から大軍を出すわけにはいかないので、服属国軍を出した
|ナポレオン:大軍を率い、ロシアを攻撃→進撃、モスクワを占領
|ロシア:焦土作戦、ゲリラ戦
|ボロディノの戦い…ナポレオン敗退、退却(他、食糧不足、寒さ等の理由もある)
↓
諸国民戦争
|人々は、
| ナポレオン:(自由を教え、革命の成果を広めたのだから慕われるはずだ)
| 仏以外の諸国民 :ただの侵略者(ナポレオン)としか見なかった
|連合軍→ライプチヒの戦い→ナポレオン敗退→パリ占領
↓
ウィーン会議(1814)
|ナポレオン、皇帝を退位→ブルボン朝復活
|↓
|エルバ島に流刑→脱出:皇帝に復活(百日天下)
| ↓
| 連合軍がナポレオンに攻撃(ワーテルローの戦い)
| └→ナポレオン敗退
| ↓
| 大西洋孤島 セント=ヘレナ島流刑
↓
ウィーン体制へ
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