インドの植民地化
Point1 大まかな流れを覚えよう!
インドを狙っていたのはイギリスフランス
イギリスの東インド会社の拠点はボンベイ・マドラス・カルカッタの3都市
フランスの東インド会社の拠点はシャンデルナゴル・ポンディシェリの2都市
プラッシーの戦い(1757)
     Win イギリスVSフランス Lost
英…書記クライヴが活躍
仏…ベンガル地方政権(マハラジャ)と手を組んだが負けた
[結果]
英…ベンガル地方の徴税権をムガル皇帝から獲得
仏…インドから出て行く
↓
イギリスは勢力を拡大。シク王国・マラーター同盟・マイソール王国を征服
し、ほぼインド全域を支配。東インド会社が貿易を独占した事に対し、イギ
リス本国での産業資本の成長、自由貿易の要求などによりイギリス(の貿易
商)が反発する。
→東インド会社の商業活動を停止、イギリスのインド統治の代理機関となる
 (1813年:茶以外の貿易独占権を廃止、1833年:商業活動の前面停止)
植民地政府の目的:出来るだけ多くの富を収奪する。
               地税(土地の所有者から税をとる)
インドの農村=共同体(土地は皆のもの)
→非耕作人も含まれる→生産物をもらえる
↓
税制を変える
ザミンダーリー制…仲介人に土地を与え、徴税する。
ライヤットワーリー制…農民に土地を与え、徴税する。
→インド社会を破壊する。
|
↓
シパーヒーの大反乱(セポイの乱、1857〜1859)
弾薬包に牛(×ヒンドゥー)と豚(×イスラーム)の油が塗られていた。
→東インド会社のインド人傭兵(=シパーヒー(セポイ))の反乱
→反英民族運動(インド大反乱)となる
→蜂起→一時デリーを占拠し、ムガル皇帝を擁立(支持し地位に着かせたと
 いう事)
→イギリス軍が鎮圧
東インド会社解散→イギリスの直轄管理にする。
ムガル帝国の廃止→ムガル皇帝退位。藩王国の懐柔。
|
↓
インド帝国(1877〜1947)英領インド帝国
インド皇帝に英ヴィクトリア女王が即位。
英王が兼ねる


Point2 用語集

Page Top



br→
main_box